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2006年06月28日
お国のために
ブラジルとの試合も無事に(?)終わり、人並みに落ち込み、立ち直ってみれば、いつも通りのワールドカップじゃないですか。トーナメントに入ると、強豪同士の真剣勝負がたまりません。
ヨーロッパのリーグ戦とは一味違った必死さを感じさせる試合が続きます。国を代表しているからこそ、でしょうか。
国のために国民が命を捨てるなど本末転倒、国民あっての国ではないか。日ごろはそんな“国”という概念自体が(世界中で同時に)過去のものになればいいという願望があるのですが(理想論です。真面目に実現すればいいなどと考えてはいません)、こんなときばかりは国というものもまんざら捨てたものではないと思ってしまいます。
いい加減だなあ、我ながら。
“国”という概念を超えつつ、サッカーで盛り上がっているヨーロッパのチャンピオンズリーグ、これは確かにうらやましいですね。
ただ、どのチームもいろんな国の人が混成チームを組んでいて、ぜんぜん「オラが街のチーム」ではない。これは(やはり私の嫌いな)高校野球と似ている。この辺、難しい問題です。
ただ、EUのおかげで、国民の国に対する意識が変わってきているのは確かでしょう。
2006年06月19日
セヴラック(作曲家シリーズその6)
フランスの「田舎のいい匂いがする」と評された作曲家。
詩情に溢れたピアノの響きは、とてもかぐわしく、どこか懐かしい。
『セルダーニャ』を聴いてみてください。都会に住む私たちが確実に失ったものがあります。いくら手を伸ばしても、触れそうで触ることはできない。手が届きそうに見えて、決して手に入らないそれは、ノスタルジーを超えて甘い痛みすら感じさせます。
ジャン・ジョエル・バルビエというピアニストのアルバムが、その痛切さにおいて比肩するもののない出来栄えです。しかし、入手は難しいかもしれない。
セヴラックについては、どの盤も入手できるものはしておいたほうがいいでしょう。オルガン曲はともかく、歌曲はピアノ曲同様、慈しみ甲斐のあるものです。
記録では、オーケストラのための作品もあるようですが、聴く機会には未だ巡りあえません。
セヴラックという作曲家自身、私にとってはいくら手を伸ばしても届かない存在なのかもしれません。
セヴラック自身が「失われたもの」とならないために、少しでも多くの人にその存在を知って欲しいものです。
サッカーのこと
オーストラリア戦の後は我慢したけど、やっぱり書こう。サッカーについて大して詳しいわけでもないが。
2002年に比べて、みんな確実に年を取ったということもあるのか。足が停まるのが早い。年齢的に、20代前半がほとんどいないので気になってはいたが。能力的には今がピークでも、体力的には下り坂なのだろうか。
積極的にリスクをとる姿勢にかけるというのは、、若いときと違って失敗できないということか。年齢的には欧州各国のクラブに自分をアピールする最後のチャンスだろう。「次」はもうない選手がほとんどなのだ。欧州で評価が安定した選手以外は、ミスが怖い、冒険できないと…。
ジーコについてはずっと懸念していたけど、ついに本番で取り繕いようがなくなった。
オーストリア戦での選手交代の拙さは言わずもがな。完全に走れない状態の俊輔がフル出場だったのだ。TVの前で、何回「代えてやれよ!」と叫んでしまったことか。
クロアチア戦では、早めの選手交代でまずまずだったように見えたが、そもそも福西なんか、最初からコンディションが悪かったのではないか。前半、ぜんぜん効いてなかったでしょ。コンディションの悪い選手がなぜ先発するのか。熱のあった俊輔が、またもフル出場ですか。確かにがんばってはいたが、FKの精度を欠いたのは理由があったわけだ。
オーストラリアの見事なゲームプランはもちろん、クロアチアでさえ、日本の弱点であるアレックスのサイドを突いてきた。彼の守備力が非常に不安定なのもわかっていたでしょ。格下相手には通じても、格上にはね。アレックスが得たチャンスより、アレックスが招いた危機のほうが多かった。いったい何回クロスを上げられたことか。
ついでに言えば宮本も、格上相手には通じないことが隠しようもなくなった。わかっていたことだけどね(わかってなかったの?)。やはり中田の進言を入れて、松田を起用していれば違ったでしょう。
FWは…もういいよ。
日本のゲームプランは…眼に見えるほど明確なものはなかった。相手を研究して弱点を突くのは真剣勝負なら当たり前のことだと思う。親善試合じゃないんだ。自分の力を出すだけじゃダメでしょ。相手に力を出させないためにどうするか真剣に考えたのか。誰が相手でも変わらないなんて、ブラジルじゃないんだから。ジーコは日本がブラジルみたいな勝ち方をするという幻想を捨てられなかったのか。
ブラジル。次のブラジル戦は、相手が本気になる理由がないのだから、親善試合みたいなものだ。ここで本気を出せば(出すだろ、そりゃ)、もしかしたら勝てるかもしれない。それでも2点も差をつけられるような屈辱をブラジルが許すとは思えない。
いずれにしても先に進むためには神頼みが必要だ。ちなみに日本人は昔から神頼みが好きだが、私は嫌いだ。人事を尽くして天命を待つ、ならばよし。今の日本代表は、人事を尽くしているとは思えない。
みっちり練習したはずの攻めが不発なのはもちろんいただけないが、それより守備に約束事がなくて選手任せなのはいかがか。守勢に回ることが多いという予想をしなかったのか?
選手選考に悩んだとか言って、センターバックのまともな交代要員が、緊急招集した茂庭だけってのもむちゃくちゃだ。イエロー累積で宮本が出られないブラジル戦、3バックで一人でもアクシデントが起きたら、もう4バックにするしかないもんね。なんて素敵な危機管理だろうか。
選手選考も人事。これは完全な失敗人事だ。
コンディション調整が大失敗? 練習しすぎで疲れているという話もある。どっちにしても、マネジメントに欠陥があるとしか思えない。
そう、マネジメント。選手としての名声には事欠かなくても、監督としての実績は皆無のヒトに代表を任せたのも、またマネジメント。
プロの選手には、プロのマネジメントが必要だ。選手はとっくにプロになったが、マネジメントがプロになるのは何年後だ? 今の選手たちが引退して、マネジメントの経験をつむまで待つしかないのか?
そんな遠い未来まで、こっちはスタジアムに通う元気を保ち続けていられるだろうか。
あぁ…。
招かれざる客
ラチスといえば、去るGW中に、こんなものを見つけました。写真だけ撮ってさっさと始末して、そのまま忘れていました。
巣の中には卵が見えます。
繁殖する前で本当に良かった。
若い女王蜂には、気の毒ですが殺虫剤を浴びてもらいました。いくら自然のままがいいとはいえ、家のベランダに、アシナガバチの居候は勘弁して欲しい。
緑の日よけ【番外編】
日よけではないけど、プランターにはマリーゴールドが現在、まさに満開。
最初に苗を買ってきてこのプランターに植えてから、もう3シーズン目。この花から取れた種から、ほとんど勝手に生えてきます。こちらがやることといったら、適当に間隔があくように位置を変えるだけ。感想にも強いので(そもそもそういう触れ込みで買った)、水遣りが多少おろそかになっても枯れないし。共働きの家庭にはもってこいですね。
緑の日よけ【発育編】
ゴーヤのその後です。
発芽から本葉が出るまでの各段階が一目で見られます。
早いものはツルも出始めました。
さすがに密集しすぎなので、昨日間引きを行い、定位置である出窓に取り付けたラチスの下に置きました。以後は適当に水をやるくらいですむはずです。
2006年06月11日
アレンスキー(作曲家シリーズその5)
アレンスキーはチャイコフスキーの次の世代にあたり、ロシア的な憂いを湛えた叙情が魅力的な作曲家です。
室内楽やピアノ協奏曲で知られる程度でしたが、最近ではオペラも録音されるなど、少しずつ光があたり始めたように思われます。以前からひいきにしていた人が注目を集めるようになるのは、もちろん嬉しいのですが、少し寂しいような気もしますね。自分だけのアイドルではなくなってしまったような。
最初にはまったのは交響曲第1番でした。まだ学生だった私は、何日もこの曲のフレーズで頭が一杯になり、食欲もなくなってしまったほどでした。こんな経験は、他にはサティの『ジムノペディ』をドビュッシーが編曲した管弦楽版を聴いたときくらいしかありません。ちなみに原曲のピアノ版ではこんなことはありませんでした。このあたり、私の音楽の好みを如実に反映している気がします。
交響曲第1番は、最終楽章がやや軽薄なロシア民謡お祭り騒ぎになってしまうのが残念ですが、第1、2楽章の夢見るようなフレーズが他に代えがたい魅力を放つ佳品です。
第2番もありますが、第1番のほうがすっと魅力的です。
アレンスキーで最も人口に膾炙しているのはボザールトリオの録音があるピアノトリオだったかもしれません。それ以外にも、ピアノを含む作品に筆の冴えが感じられます。
最後にとっておきの作品を2つ。
ピアノ独奏曲の『エレジー』Op36-16と、ピアノと管弦楽のための『ロシアの民謡の主題による幻想曲』Op48です(“Op”は作品番号の意)。ロシア的な哀感が存分に味わえます。一度聴いたら忘れられない響きの『エレジー』は、MIDIデータが公開されているのでお薦めしておきます。Niftyの旧FMIDICLA(MIDIフォーラム・クラシック)で公開されているAkihisa KANDAの作品です。
2006年06月08日
ラヴェル(作曲家シリーズその4)
ラヴェルは、昔より聴く機会が減ってしまった感があります。
飽きてしまったのかもしれません。
ドビュッシーは私にとって常に別格なのですが、たとえば弦楽四重奏曲は、当初はラヴェルのそれのほうが好きでした。
でも、次第にラヴェルの弦楽四重奏曲には飽いてしまった。逆にドビュッシーのは、緩徐楽章など、聴きなれたCDでも眼が潤んでくることさえあります。聴けば聴くほど好きになってくるのです。
ラヴェルのほうが完成度が高いとは思うけれど…。
ピアノ曲も、ラヴェルはどうも心に残りません。CDは棚にはあれど、一向に手が伸びない。オペラもそうですが、結局ラヴェルの曲にはドビュッシーと近いものを感じる分、ドビュッシーの同ジャンルの傑作と比べてしまって、やや落ちると感じてしまうからかもしれません。冷静に考えれば、ラヴェルの曲はどれも好きなほうに分類されるはずなのです、音楽として。
しかし『ボレロ』は嫌いです。あれはくだらない。
『ボレロ』のおかげで、ショスタコーヴィチの7番の交響曲などが二番煎じ扱いされ、不当に低く評価されています。『ボレロ』と似た作りなのはそれなりの意味があるし、そのこと自体は曲の全てでも最重要ポイントでもなんでもないのに。『ボレロ』は逆に、アイディアだけの曲です。どちらが偉大な作品かは論じるまでもない。
このように、ラヴェルと私はあまり相性が良くないようです。他の作曲家との関係性ばかり気になってしまうのですから。
ラヴェルで好きな曲は、『ラ・ヴァルス』『クープランの墓』『マ・メール・ロワ』がベスト3で、次点は『道化師の朝の歌』でしょうか。
中でも『ラ・ヴァルス』は圧倒的にすばらしいですね。
曲の冒頭は、「ウルトラQ」のオープニングのどろどろした液体を思い出します。あれが私の“カオス”のイメージです。そこから次第に三拍子のリズムが生まれてくる。タンパク質のどろどろした海からヒトの形をした何かが生まれ、三拍子で踊りだすのです。
雲間からまばゆい日差しが差し込むと、見る間に舞踏会場の幻が現れ、金と赤の色彩があたりを埋め尽くす。ヒトの形をした何かはいつの間にかタキシードに身を包み、白いドレスを着たパートナーと、くるりくるりと回りながら踊り続けている。
踊りは徐々に勢いを増し、ついには狂ったような激しさとなる。誰にも止めることはできない。とうとう激しさのあまり、ヒト形の何かはばったりと倒れ、事切れる……。
勝手なイメージですが、聴くたびに同じイメージが湧いてくるのです。
2006年06月06日
緑の日よけ【発芽編】
東京近郊のマンション住まいです。
ご多分に漏れず、このマンションも夏は暑い。冬は暖房費がかなり少なくてすみますが、夏の冷房費はかなりのものです。
東向きのベランダに、日よけと目隠しをかねて、ゴーヤを植えています。3シーズン目の今年も、プランターに芽が出始めました。
ゴーヤは種をまいてから発芽するまでに時間がかかるようです。去年は2週間くらいだったような気がしますが、今年は最初の芽が出てくるまで3週間ほどかかりました。それだけ天候不順だったということでしょうか。
今はまだ頼りなげですが、来月には人の身長より高く伸び、8月には例年通りささやかな収穫も望めると思います。
今度、写真も掲載しますね。
2006年06月04日
ミヤスコフスキー(作曲家シリーズその3)
ロシア音楽は昔から好きなのですが、ミヤスコフスキーという人に興味を持ったのはショスタコーヴィチの師匠にあたるからという理由でした。
当時はまだLPの時代で、旧ソ連のメロディアというレーベルの、質の悪いLPを買ってきては貧しい音で聴いていました。それしか音源がなかったからです。
CDの時代になり、インターネット通販も当たり前に使うようになって、マイナー作曲家のCDコレクションもずいぶんやりやすくなりましたが、それでもミヤスコの27曲ある交響曲のうち、26番だけは聴いたことがありません。
それでもあえて、この人の交響曲のベストは13番であると断言しましょう。25番や27番の出来から推察して、26番だけが飛びぬけて傑作とは考えにくいからです。
単一楽章の第13交響曲は、全編が圧倒的な緊張感に貫かれた傑作です。
ミヤスコはよく誤解されるのですが、ソ連の体制よりの「御用作曲家」と片付けることはできません。この13番交響曲などを聴けばすぐわかりますが、少なくともここでは大衆に迎合した作風は微塵も聞かれません。どなたにもぜひ一度聴いてみて欲しいですね。残念ながら、CDは入手しやすいとはいえないのですが。
心あるアマチュアオーケストラででも、取り上げてもらえないものでしょうか。ショスタコーヴィチの前座でもいいですから。
13番以外の交響曲は、初期のものはいいたいことが今ひとつはっきりしないのでお薦めしかねる曲が多いです。合唱もついたりして大規模な編成の6番は代表作扱いされることが多いのですが、正直言って疑問です。大規模な割りに、地味な曲なんですよね。
いいたいことが整理されて、ある意味聞きやすくなった11番はお薦めです。独特の内省的な緩徐楽章も美しく魅力的です。
最悪なのは18番。まるで焦点が定まらず、浮ついた作品になってしまっています。十月革命何周年だかの記念式典のために書かれたとかで、いかにも気乗りのしない表面だけのお祭り騒ぎを延々と繰り広げる駄作。
22番はとてもわかりやすく耳に馴染む、社会主義リアリズムのお手本のような曲ですが、派手な部分でも案外いやらしさがなくて素直に聴けるほか、緩徐楽章の深い憂愁は格別の味わいがあります。
交響曲以外だと、一番有名なチェロ協奏曲は、実はとても地味。瞑想的というか、何かと物思いに沈みがちなところはこの人の特徴が出ていますが、退屈な人には退屈でしょう。聴きやすい曲でもないし。
むしろヴァイオリン協奏曲のほうが、旋律の美しさで勝る分、とっつきやすいでしょう。ヴェンゲーロフの新しい録音があって入手もしやすいです。
ピアノソナタは1番から4番までは、だんだん作品の充実度が上がっていくのに、18番交響曲のようなどうしようもない駄作のソナチネをはさんで、5番以降は平易な作風で耳馴染みがいいというだけの、面白みのない作品ばかりになります。
弦楽四重奏曲は13曲もあって、ミヤスコとしては交響曲に次いで重要なジャンルなのですが、まだ全曲をじっくり聴き込むまでにいたっていないので、いつか改めてコメントしたいと思います。
しかし、ミヤスコの入手できるCDはほとんど持ってるかも…でも生演奏では一曲も、一回も聴いたことがない…。
2006年06月02日
オーディオのアンプとギターのアンプ
これまで書いてきた“アンプ”とはオーディオ用のアンプのことです。真空管はギター用のアンプにもよく使われますが、実はこれらは似て非なるものなんですね。
オーディオは低音域から高音域まで、ある程度以上まんべんなく再生できないといけないのですが、ギター用では逆に、ギターの音域以外は邪魔なのです。
これを十分理解していなかったので、オークションで失敗してしまいました。
「出力25W」と書かれた出力トランスが、出品されていました。オーディオ用としては1個3,000円という破格の値段でしたので、ステレオ用に2個落札しました。
「ギターアンプ用」とは明記していなかったのですが、とあるアンプの補修用パーツとして、アンプのメーカーと型番が書かれていました。そのメーカーがギターアンプのメーカーだったので、そこで気づくべきでした。
届いた品物は、25Wとしてはあまりにも小型のものでした。オーディオ用の10Wクラスと同等でした。
出力トランスというのは、物理的な大きさと出力の大きさには相関があります。
また、低い音ほど出力が出にくい。周波数の2乗に比例して、出力が小さくなるのです。100Hzで10Wなら、50Hzでは2.5Wになります。20Hzだと0.4Wになってしまいます。
ギターアンプ用の25W品は、やはり100Hzで10W程度のものでしょう。計算では、158Hzでなら25W取り出せることになります。
あるいは、ギターアンプは歪に対して寛容なので(あえて歪ませるらしい)、もう少し低い周波数でも高めの歪率でなら25W取り出せるのかもしれません。
どちらにしても、得な買い物ではなかったということです。100Hzで10Wのオーディオ用出力トランスは、1個3,000円弱で購入したものでした。変わらんじゃないか…。