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2007年01月06日
今聴いている曲(シューベルトのピアノソナタ第18番)
アファナシエフの弾くシューベルトのソナタは、以前21番も持っていたが、売ってしまった。
18番「幻想」は今日改めて聴いたが、これも遠からず売却する予定の棚に収まることとなった。
ピアニストの手になるライナーの一節「私は、これまでシューベルトについて5つのエッセイを書いているが、そのたびに最後のいくつかの作品の不気味さを、明らかに快活な面を犠牲にしてまで、強調したのである」…はこの演奏についてもそのまま当てはまる。
そんな演奏を聴いて、やはりうんざりしてしまう自分を確認した。そうまでわかりやすく弾かなくてもいいのだ。シューベルトの音楽は早すぎる晩年に近づくに従い、純粋さ、静謐さを際立たせていく。それをアファナシエフは「白い」と表現した。
およそ人間の生活する環境のうち、もっとも白いのは病室だ。もともと白のイメージは死と隣りあわせなのだ。
そしてシューベルトの白い、しかしまったくまぶしさのない音楽からは、あえてオブラートに包もうとしない限り、おのずと死の香りが立ち上ってくる。少なくともそういった優れた演奏を、私たちはいくつも知っているではないか。
シューベルトの、一切の輝きを伴わない「白さ」をたたえた音楽の不気味さ加減についての解説は、実はもう十分なのである。それは18番どころか、13番にすら聴き取れるのだ。演奏は、そう、アファナシエフの大先輩のリヒテルでいいだろう。
もし、本当に「白さ」を過剰なまでに押し付けられたら、人間は発狂するだろう。「2001年宇宙の旅」の最後の方に出てくる白い部屋(いささか明るすぎるが)に、ずっと閉じ込められることを想像してみるがいい。
漆黒の闇は、実は誰しもが慣れ親しんだ環境だ。眼を閉じればいつも(胎内のごとき)懐かしい闇が待っている。しかし、過剰なまでに白い世界は人間から一切の逃げ場を奪う。
人間の精神にとって、どちらが恐怖かは言うまでもない。
アファナシエフの奏でる音楽は、残念ながら狂気とは程遠い。彼に足りないものがわかったような気がする。
(mixiの自分の日記から転載・加筆しました)
投稿者 clad : 2007年01月06日 14:05