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2007年01月25日
10EW7差動アンプを改造する
さて、2A3シングルアンプにメインの座を奪い返された10EW7差動PPアンプも、ただ指をくわえて顛末を眺めていたわけではない(笑)。冷静に状況を分析し、反撃の機会をうかがっていたのである。
これまでのバージョン(以下、Ver.1と記述)の問題点は以下の通り。
1)電源トランスが容量不足
ノグチトランスのPMC-190Mを採用していたが、220V190mAでは出力管の動作点が最適化されていなかった。
2)出力トランスが非力
東栄のOPT-10P(8KΩ)を採用し、8Ω:8kΩで使用していたが、50Hzで10Wというのは最大出力8Wクラスを狙うアンプにはやや非力だった。
3)初段のμフォロワ(ぺるけドライブ)の動作がすっきりしない
10EW7の小さいほうのユニット(以下「10EW7(t)」と記述)をSRPPの上に、双五極管の6J11を下に使ったμフォロワ(ぺるけドライブ)を初段に採用した2段構成だったが、10EW7(t)のバラツキが大きく、またこれを調整するために可変抵抗を4箇所も、しかも信号が流れる箇所に入れるのが嫌だった。また、片chに合計11mAも流して使うのも、電源トランスに余裕がないのでもったいない感じがした。
また、メインスピーカーがインピーダンス6Ωのものに替わったこともあり、動作点を見直してもう少し高い電圧で高い負荷でドライブしたいと考え、以下の対策を考えた。
1)電源トランスをPMC-190Mから170Mに換装
一見190mAから170mAに容量ダウンしたように見えるが、実はB電圧が220Vから290V~350Vに上げられる。290V巻線で十分である。6Ω負荷で片ch5Wを切っていた出力も、見直した動作点なら7Wを超えるはずだ。
2)出力トランスをハモンドの125Eに換装
公称15Wのトランスなので大したサイズアップではないが、このトランスは接続方法でいろいろな一次インピーダンスに設定できるので、後々の使い回しがきく。先日の試聴会で高域の伸びなどが好印象だったこともあり、ハモンドのトランスを使ってみたかったこともある。
3)初段を超三結Ver.4に変更する
一時は普通に6J11の五結を10EW7(t)カソードフォロワで受けることも考えたが、普通すぎてつまらないので、勉強の意味も兼ねて超三結に挑戦することにした。これだと設計上は片chに4mA流せば動作する。音は……やってみないとわからない。
回路図は、チラシの裏に下書きしただけなので、まだ掲載できません。
これらの対策のために回路を書き、部品定数を検討、足りない部品を集め、改造に手をつけるところまでが昨年末のお話。年明けの某試聴会に間に合わせようと焦って組み上げた…かに見えたが、電源を入れたものの+Bが妙に高い。調べたところ、リップルフィルタのTrが死亡していた。
当たり前だ。+Bを大幅アップしたのに、もともと耐圧がぎりぎりだった部品が即死したのだ。耐圧がいくつのTrを使ったか、きちんと記録しておく几帳面さのない私のエラーである。
手持ちに適当な代替部品がなく、買い付けに行くまで作業はストップ。
買ってきた代替品はhFEが30以上と低い。hFEを測定する環境がなく、組んでからの現物合わせもなるべくしたくなかったので、2つ使ってダーリントンにしてしまう。これならBE間の電流は無視できる。
ここで、初段のところの定電流Diを11mAから4mAに付け替えるのを忘れていたことに気づく。もちろん1本で11mAにしていたわけではなく、2~3mAのもの4~5本をパラレルにしていたので、これをいったん全部外し、測定しなおして片ch2本ずつで4mAにできた。さあ取り付けよう……というところまでが昨晩のお話である。
さて、この後どうなりますか。
投稿者 clad : 12:16 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月06日
今聴いている曲(シューベルトのピアノソナタ第18番)
アファナシエフの弾くシューベルトのソナタは、以前21番も持っていたが、売ってしまった。
18番「幻想」は今日改めて聴いたが、これも遠からず売却する予定の棚に収まることとなった。
ピアニストの手になるライナーの一節「私は、これまでシューベルトについて5つのエッセイを書いているが、そのたびに最後のいくつかの作品の不気味さを、明らかに快活な面を犠牲にしてまで、強調したのである」…はこの演奏についてもそのまま当てはまる。
そんな演奏を聴いて、やはりうんざりしてしまう自分を確認した。そうまでわかりやすく弾かなくてもいいのだ。シューベルトの音楽は早すぎる晩年に近づくに従い、純粋さ、静謐さを際立たせていく。それをアファナシエフは「白い」と表現した。
およそ人間の生活する環境のうち、もっとも白いのは病室だ。もともと白のイメージは死と隣りあわせなのだ。
そしてシューベルトの白い、しかしまったくまぶしさのない音楽からは、あえてオブラートに包もうとしない限り、おのずと死の香りが立ち上ってくる。少なくともそういった優れた演奏を、私たちはいくつも知っているではないか。
シューベルトの、一切の輝きを伴わない「白さ」をたたえた音楽の不気味さ加減についての解説は、実はもう十分なのである。それは18番どころか、13番にすら聴き取れるのだ。演奏は、そう、アファナシエフの大先輩のリヒテルでいいだろう。
もし、本当に「白さ」を過剰なまでに押し付けられたら、人間は発狂するだろう。「2001年宇宙の旅」の最後の方に出てくる白い部屋(いささか明るすぎるが)に、ずっと閉じ込められることを想像してみるがいい。
漆黒の闇は、実は誰しもが慣れ親しんだ環境だ。眼を閉じればいつも(胎内のごとき)懐かしい闇が待っている。しかし、過剰なまでに白い世界は人間から一切の逃げ場を奪う。
人間の精神にとって、どちらが恐怖かは言うまでもない。
アファナシエフの奏でる音楽は、残念ながら狂気とは程遠い。彼に足りないものがわかったような気がする。
(mixiの自分の日記から転載・加筆しました)