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2007年06月29日
ドイツ音楽の明と暗
このご大層なタイトルでは、今度はどんな暴論を振り回す気かと誤解をされそうだが、実は単なる好き嫌いの話をお気楽に書き散らそうという、ほんのお目汚しに過ぎないことを最初に告白しておく。久しぶりの音楽ネタなので、ちょっとした遊び心で思わせぶりなタイトルをつけてみたまでです。ごめんなさい。
結論から先に書くと、外向的・発散系のドイツ音楽は苦手で、内向的・屈折系のそれは好き、ということに尽きる。
まずモーツァルトが苦手(ドイツじゃなくてオーストリアだろ、という突っ込みはナシでお願いします。以下同様)。一部のオペラをファルスとして楽しむ以外は、進んで聴こうと思うのはレクイエムくらい(※1)。
ベートーヴェンも、晩年の弦楽四重奏やピアノソナタを除くと、聴いていてイライラすることが多いので好きじゃない。基本的に、駆り立てられるのは嫌いなのだ。
※1)最近聴いた、アンスネスの独奏によるコンチェルトのライブは楽しめた。その理由はまさに丁々発止の掛け合いであったから。こんな演奏だったら、曲次第ではモーツァルトでもベートーヴェンでもいける。これがたおやかなウィーン風の(といわれる)モーツァルトだったら、退屈すること請け合いである。
ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスは、どちらも饒舌すぎて性に合わない。黙っていれば美人なのに、そういう瞬間は滅多になく、四六時中喋りすぎて台無しになってしまっている、そんな人をイメージしてしまう。
それにどちらも厚化粧である。すっぴんで勝負しろとはこれっぽっちも思わないが、一見して薄化粧と思わせるようなのが本当に上手い化粧だと思うし、自分の好みというわけだ。
ワーグナーは『トリスタン』の前奏曲と「愛の死」だけで十分なのかもしれない。長い苦痛に耐えてこそのご褒美としてのカタルシス、という構造にはもう耐えられる気がしないのだ。シュトラウスは、クライバーの『ばらの騎士』の実演でも、結局ダメだったもんなぁ。『ばらの騎士』組曲だけで、もうおなか一杯だ。
好きなドイツ音楽はと聞かれると、バロック時代は大バッハとテレマンをかじったくらいの未開拓分野なので脇に置いて、シューベルト、シューマン、ブラームスにマーラーにレーガーの名前が挙がる。
シューベルトは自らの死を前にして、はかなくも美しい、現実逃避的な音楽を書いたし、シューマンは説明不要だろう。ブラームスなんて、ベートーヴェンの後継者と目されたという“物語”をきっかけに聴きはじめたようなものであるが、今ではそんな物語を抜きにしても大好物だ。尤もピアノ曲や室内楽については、フォーレのほうがブラームスよりも上をいっていると最近は思うけれど。
ドイツ音楽に話を戻すと、マーラーはその私小説的側面で言わずもがな(8番の交響曲はもっとも苦手としている)。レーガーの人となりは良く知らないが、紡がれた音楽はまさしく屈折系そのものといえる。
シェーンベルク一派の音楽は、内向的な面も多分に見られるものの、表現主義というのがいささか繊細さに欠けるように思われて、どうしても好きになれない。これは私の耳の限界でしょう。
ドイツ音楽以外ではどうかというと、ラテン系、スラヴ系の諸国の外向的な音楽は必ずしも嫌いではない。プッチーニとかも、わりと好んで聴くほうだ(ちょっと恥ずかしいけど)。
たしかにサン=サーンスは苦手だし、ラロやシャブリエは好きだがショーソンほどではない。でも、ドイツ音楽のようには、明確に「外向的なものは苦手」ということはないのである。なぜなのかは未解明だ。
自分の内面には、まだ探求の余地があると。
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※※カテゴリーの名前のごとき、重いテーマのエントリーはなかなか書けません。もちろんいくつも暖めてはいるのですが、こればっかりは書くにもエネルギーが要るので、相当に溜めを作ってからでないと、テーマに負けてしまいます。もうしばらくのご猶予を。
投稿者 clad : 2007年06月29日 22:45
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