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2008年06月26日
ものづくり大国ニッポン
…あえてコメントいたしません。こりゃぁスゲーとしか。。。
海外でなくても、日本人から見てもクレイジーですよ。
さすがに、欲しいと思うものはひとつもございませんでした。
2008年06月22日
写真を撮り直してから、いざIKEAへ
昨日のエントリーに載せた、ゴーヤの芽の写真を撮り直しました。
芽自体は、わずか一日でだいぶ立ち上がってきています。
実は前のデジカメが壊れて、新調したばかりの物で撮ったため、まだ試し撮りで、使い方がよくわかっていないのです。マニュアルはほとんど読まないから。
まだ10枚も撮っていませんが、今度は何とか芽にピントが合いましたね。
今日は雨をついて、港北のIKEAにてお買い物。初めて行ったので独特のシステムに若干戸惑いましたが、インテリアの店としては出色ですね。あれなら確かにリピートしそう。
シンプルで趣味の良い品々が、お手ごろ価格で展示されていて、しかも広くてゆったりしたショールームスペースに、様々な組み合わせでインテリアがこれでもかと提案されています。品定めの結果をメモするための筆記用具も配っています。
ショールームを一通り回り、ちょうど良くお腹がすいたころにたどり着くレストランも広く、安く、味も上々。
腹ごしらえをした後、階下の倉庫から買うものを自力でカートに載せます。これがちょっと大変で、一人暮らしの女性が自分の部屋に置く家具を買いに来るためには、彼氏や友達を連れてこないと無理です。それ以外の難点は、トイレが少ないことかな。
カートに積んでレジを通ると、宅配カウンターとカフェが並んでいます。子供たちと一緒に食べたソフトクリームは、やや小さめとはいえ50円也。マクドナルドより安い。
なんだかんだで半日過ごしてしまいました。小物を買うだけでも、外食するついでに来るのも悪くない感じです。自宅から車で30分くらいですから。
次に行くときは、デジカメを持って行こうかな。
2008年06月21日
君はどこから来たの?
ベランダに出て、ふとプランターに目をやると、かわいいお客さんが来ていました。
まだ羽もなく、自力でマンションの2階のベランダの、しかも手すりに取り付けたプランターまで上がってこられるとは思えません。ともあれ、この小さなエリアをテリトリーに、どこまで大きくなれるか、しばらく見守ることにしました。
一方、ゴーヤのほうですが、相変わらずのんびりしたものです。
まだ梅雨ですから仕方ありませんが、今頃になって発芽する、寝起きの悪いやつがいます。写真の真ん中辺の、小さな薄緑の物体がそれです。花のほうにフォーカスが合ってしまってて見難いですけど。
梅雨が明けて真夏日が続くようになると、一気に成長が早まり、あっという間に天井近くまで達すると思いますが、まだまだ先のようですね。
今年はゴーヤのプランターにはマリーゴールドや青紫蘇を一緒に植えています。別のプランターで間引きした苗をただ捨てるに忍びなくて、こちらに移植したものです。
しかし、写真に写っていない青紫蘇は、ゴーヤとは地味の好みが異なるのか、あまり勢いが良くありません。ゴーヤの土には石灰を入れてアルカリ性にするのですが、それがイヤなのかな?
2008年06月20日
今頃iPod?
今まで、iPhoneにもiPodにも興味がなかったのですが、MobileMeの登場で、俄然興味がわいてきました。
iPodは音が悪いから嫌いでした。ついでにitunesも、Mac環境では知らないが、Windows環境ではやはり音の悪いソフト(※)なので嫌いでした。
だからといって、いまさらMacの世界に戻るのも嫌だし。ああ、あのわけのわからないトラブルの嵐に次から次へと見舞われても鬱々として耐え続け、ついにMacの離島を見限ってWindowsの大陸に移住した日の、晴れ晴れとした気持ちを今も思い出します。なんだかんだいって、Windowsに移行してから10年以上たちますが(しかもハードは2台の中古を除くと全て自作PC)、最後まで対処できなくて放置プレイに走ったトラブルは、存在しなかったといっていいのです。Macのときとはえらい違い。これだけでもMacに戻りたくないという強い動機たりえます。
(※)第一、ASIOにすら対応していないのです。論外ですよ。これはWindowsの仕様が悪いとも言えるけど。
iPhoneも、今のメール打ちまくり、コピー&ペースト使いまくりの生活から考えると、現在使用中のケータイを単純に置き換えられるないのは明らかです。お財布ケータイも毎日使っていますからねぇ。いつでもどこでもチャージできる便利さは、やはり捨てがたい。
ただし、MobileMeが出てくると話は別です。もっとも、これが置き換えるのは、現在スケジュール管理に使っているPDAの機能だけなのだけど。
このPDAがだいぶ老朽化してきているので、そろそろ買い替えが必要でしたが、なかなかいいものがなかった。そこにこういう話が出てきたわけです。
iPhone/iPodの音質が如何に貧弱でも、手帳のオマケ機能と思えば腹も立ちません。
ただ問題は、職場のOutlookとデータを共有できるかどうか、なのだなぁ。職場のネットワークにどうやって入るのだろう。もちろん会社にはFirewallがあるわけで、これを乗り越えられるという情報は見つかっていません。
正面から堂々とネットワークに入るには、VPNを使うことになりますが、iPhoneにもiPod touchにも、VPNが実装されているとは信じがたいし。
そうするとやっぱり、職場のクレードルに置いてシンクロ、という昔ながらのPDAが一番確実なソリューションということになってしまうのです。明らかに時代遅れなんですが。
また、iPod touchよりはiPhoneの方が、公衆回線につながるだけ便利なのは間違いないのですが、こういう↓考え方もあります。
やれやれ、悩ましい。。。
♯♯ちなみに今回初の、新幹線の車内からの更新です。今、京都に着いたところ。
大阪単独出張(しかも日帰り(;_;))の退屈しのぎですが、高速移動中にケータイ使うと、電池の減りが早いですなぁ…。
2008年06月19日
アダムとイブの嫁たちは
多少女性差別的な面も垣間見られますが、旧約聖書が元々、イブはアダムのあばら骨扱いですからね。下のリンク先も所詮は冗談ですから、あまり目くじらを立てないように願います。
アメリカには進化論を信じていない人のほうが多いというし、そっちの意味で真剣に怒る人もいるのかなぁ。
これ↓も、ひどいけど、笑えます。ちょっとモンティ・パイソンの、各国人を貶し続ける歌を思い出してしまいました。
2008年06月15日
録音録画補償金が欲しい人たち
私的録音録画補償金制度は、やっぱりいかがわしい。
以下の記事は、突くべきところを明快に突いてくれたという点で、もうほとんど決定版じゃないでしょうか。
本田雅一のAVTrends:補償金制度への「さらに大きくなった」疑問
もうね、はっきり言うべきなのですよ。今までもらってきたお金が減ってしまうと生活に困る。だからお金が欲しいんだと。
芸術は儲からないから、お金が要るんだと。
そういってもらえれば、よくわかる。クラシック好きですから、税金で芸術家を育て、支えることに何の疑問も躊躇いもないのです。
しかし、私的録音録画補償金制度は筋が悪い。
芸術の受け手を十把一からげに性悪説で捉え、一律に金を払えと要求するのですよ。
俺たちは被害者なんだという態度で、誰に対しても頭を下げずにお金をもらうための方便としか思えませんな。そして、お金は取りやすいところから取ると。
そろそろ新しい仕組みを考えなくちゃいけません。
繰り返しますがクラシック好きの私としては、単純に市場経済に従ってアーティストにしかるべき収入が分配されればよし、とは考えておりません。そんなことをすれば、どうなるか。
映画の世界で、シミュレーションができそうです。
単純に金が稼げるものが勝つのなら、くだらないハリウッド映画しか製作されなくなってしまう状況を招くだけです、ほかのローカルな映画産業が駆逐され、寡占が進んで。
そうなると、今度はハリウッド映画の衰退が始まるわけです。大作の続編ばかりが作られるようになる。
新ネタはリスクが多いので、どうしてもお金が集まらない。いまどきのハリウッド映画は、一本ごとにファンドの投資資金で製作されるらしいですからね。回収の見込みが立ちにくいものには、金もかけられないわけですな。確実に稼げるのはヒット作の続編なのです。目新しいネタが少なくなり、活力が失われる。
アメリカの音楽界も、なぜあんなにセリーヌ・ディオンもどきが多いのか。ハリウッドの大作の続編連発と、似たようなメカニズムが働いているんじゃないのか。
まあ、他のジャンルのことは、この際どうでもいいや。
クラシック音楽なんて、もともと音楽家が経済的に自立していた時代のほうが珍しくて、大抵は裕福なパトロンがいてどうにかやってきたわけですから。現代では、パトロンは政府だったり、企業だったり、芸術好きの富豪だったりしますね。
音楽のネット配信は販売や物流などのコストを劇的に下げるので、巨大音楽産業の寡占状態を破壊し、結果として多様な音楽の存在を保証するといった考え方もあるらしいですが、どんなもんでしょうか。
クラシックについては、大編成のものほどどうしたってコストはかかるし、オペラにしてもオーケストラにしても、特定少数の有名団体に人気が集中し、結局多くの団体が淘汰されてしまうでしょう、有力なパトロンがいなければね。それって、さっき書いた映画の状況と同じことなんじゃないのか。
演奏曲目だってそうで、ちょっと難しい曲や地味な曲はどんどん演奏機会が減って、ましてやゲンダイオンガクなんて書かれなくなり、お決まりのメンバーが演奏する決まりきった泰西名曲ばかり聴かされる羽目になり……。
…ダメだ、眠くて何を書いているのかわからなくなってきました。この問題は、もう少し頭を整理してから、また書くかもしれません(もう書かないかも)。
2008年06月14日
真の教育再生のための提案
またも無差別殺人が起きました。今度は秋葉原で。
土地柄、あるいは犯人の供述などから、オタク系の性表現、暴力表現の規制強化に向かうきっかけともなりそうです。
私自身は、特にそれらの“表現の自由”を擁護する立場にもなければ、その気もないのですが、筋違いではあると感じています。大阪で小学校を襲撃した宅間守は、オタクでもなんでもなかったでしょう。
やや古いですが、最近見つけたこんな記事が気になっています。
戦後の核家族化に、近年の少子化が加わり、両親と一人っ子が周囲から孤立する状況が、社会性の欠如した人間を再生産するという悪循環を生んでいると思うのです。
ただでさえ一人っ子というのは親や祖父母からの溺愛を招きやすく、子供の人間性をゆがめるリスクが高まると思われます。
虐待は、人間性に問題のある親が、周囲から孤立して子育てを行うことで助長されます。親が孤立していれば、子供だけで周囲との社会生活を営めるようにはなりませんから、虐待まではなくとも、子供の社会性が未発達でも何の不思議もありません。
即効性を求める対策は、いろいろな人がいろいろなことを言っていますが、やはりどうしても対症療法的で、直近の事例にのみ眼を奪われて、視野の狭いものになりがちなようです。
やはり、長期的な視野に立って、豊かな社会生活を営める日本人を少しずつ増やしていけるような、そんな対策が望まれます。
そこで、乳幼児期から集団保育を義務付けることを提案したい。
核家族+少子化により、母親と子供が1対1で密室で長時間向き合わされる状況を少しでも減らす。あるいは独善的で暴力に訴えがちな父親が家庭での暴君と化し、第三者の目の届かないところで子供を自分のストレスのはけ口にするようなリスクを未然に回避する。
そして、子供を親から切り離したところで、同世代同士の集団生活を経験させ、早いうちに社会性を身につけさせるのです。保育園の義務化です。
幼稚園では教育を始めるのが月齢的に遅いし、集団生活の時間としても短すぎます。
就学前にきちんと大人の言うことを聞ける、他人に迷惑をかけないといった、最低限の社会性を身につけさせるには、言葉が通じるか通じないかの時期から躾けていく、それも身体に覚えさせるように「仕込んでいく」必要があります。
いきなり全国の子供に保育園入園を義務化するのは、もちろんかなりの大事業です。膨大な施設もですが、保育を担当する人手も必要です。
施設のほうは、お役人お得意の箱物行政にお任せしましょう。無駄な道路より、こちらを優先して造ってもらいます。
保育要員確保は、専業主婦を中心とした若い母親(子供はまだ、という人でもいいのですが)を活用する手があります。大家族で子育てのノウハウを継承する仕組みが、核家族化で壊れていますから、その代替としての母親修行の場になるし、パート収入源にもなれば一石二鳥です。もちろん、旦那様が高収入で働く必要がない方ならボランティアとしてでも、一律全員参加を義務付けます(基本、自分の子供がいる保育所には配属しない前提で、保育補助として参加してもらいます)。
あるいは初めて父親になった男性にも、“父親研修”として短期間でも義務付けるべきかも知れません。いや、そうすべきでしょう。
最近の若い母親には、満足に子供を叱ることもできない人がいます。当然、子供はわがまま放題で、手のつけられない悪童に育ちます。
一方、父親は父親で、子供とどう接したらいいかわからず、極端に甘やかしたり、逆に力で押さえつけて言うことを聞かせようとしたりする場合もあります。
そういった親になりきれていない親たちに対する教育としても、この保育体験が機能することを期待しているわけです。
日本は人材だけが唯一の資源だ、だから教育が大事だとはよく言われるけれど、納得のいく教育制度改革案を見たためしがありません。小学校ですら学級崩壊がささやかれて何年も経つのに、就学前の子供にまで遡っての対策がとられてこなかったのは、文部科学省の縄張り(幼稚園)と、厚生労働省の縄張り(保育園)があり、互いに既得権益を容易に手放さないからと見えます。
そんなに縦割り行政がやめられないなら、せめて権益のバーター取引の仕組みでも作って欲しい。内閣府あたり、そういうバーターの交渉のまとめ役をやってはくれないものか。
話が横道にそれましたが、とにかく幼児教育にまで遡って手を打つのが、時間はかかるけれども、確実に日本を住みやすい国に変えていく有効な手段だと思います。
国家百年の計として、ぜひ取り組んでいただきたいものです。
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2008年06月13日
本当に同い年?
自分と同年代の男性がたまたまテレビに出ているのを見て、あまりにも老けているのに驚くことがよくあります。自分が幼いのかも知れませんが。でも、私は別に童顔ではありません。大学時代はよく5つくらい上の社会人に見られました。
このコラムを読むと、今度はそんな外見の問題だけでなく、同い年のはずの執筆者と、そもそも同じ時代の空気を吸っていたのかどうかすら疑いたくなってしまいました。
>私たちが大学生の時のバブル期の就職は、かなりの売り手市場で、内定者を他の会社に取られないために、企業はあらゆる手段で学生に拘束をかけていました。
64年生まれの私は、一浪して理科系大学に行き、88年に就職しました。その当時の就職戦線は幾分上向きつつあったものの、まだ売り手市場といえる状況ではなく、就職を断念して大学院に進む友人も少なくなかったのです。早く親から独立して生活したかった私は、多少不本意でも職に就くことを選びました。
求人の状況が好転したのは翌年からで(就活自体は88年ですね)、私も上手くその波を利用して90年に転職しました。今でいう第二新卒です。
バブル景気による売り手市場のピークは92年で、会社には新卒のみならず、おびただしい数の中途採用者が入社してきたものです。人事の採用活動は、景気の変動の波と同期せず、どうしても少し遅れるものだからです。
…これだけでも、コラムの筆者と私はまるで違う時代を生きていたかのようです。
さらに、彼はこんなことも書いています。
>頭では分かっているつもりでも、“ブログ”“mixi”“You Tube”“ニコニコ動画”と次々に現れる新しいデジタルコミュニケーションを使いこなすのは、今の若者たちのように容易ではありません。
オイオイ、です。プロフィールに「1964年生まれ」とあるのは、1954年生まれの間違いじゃないのか?
私たちの世代は、Niftyでパソコン通信に触れ、バーチャルな世界でのコミュニケーションと、顔を合わせずに友人を獲得するという経験をした最初の世代でしょう。さらに遡ればマイコンブームがあり、『スターウォーズ』によるSFブームも経験し、ぎりぎりガンダム世代でもあるのです。
この世代にとって、ITとは“最初に現実になった未来”とでもいうべきものでした。そしてそれは就職後数年して訪れたOAブームによって、完全に日常の一部と化しました。Windows98登場当時のパソコン自作ブームの火付け役にもなり、PCがブラックボックスにしか見えない最近の若者より、ある意味では本質的にずっとITに親しんでいるとさえいえます。
そして現在、日常は仕事に家庭にと忙しく、趣味に割く時間もままなりませんし、まして仕事を離れて純粋に同好の士との会合をオフラインで持つなど、年に一度あるかないか。バーチャルなネット上のコミュニケーションを目一杯活用しているのは、近頃の若者とそう変わりありません。
ですから“アラフォー”は、ITを使いこなした最初の世代であり、さらにいえば女性よりもITのハードウェアに比較的強いことの多い男性は特に、世の中のIT化をまさに牽引してきた存在なのです。
…もっとも、世の中は広い、ということなのでしょうね。このコラムの執筆者は、現在に至るまでこういった事柄とは一切無縁の生活を送ってきたようです。
単に遊び呆けていた、といったら可哀想でしょうか。
それにしても、この人の顔もまた、私より随分と老けて見えます。単なる写真写りの問題、なのでしょうか、どうでしょうか。
あるいは、私は理系、彼は文系という違いなのか。もちろん、理系が時代を切り開き、文系がそれを味わいつくした…というのも(まるで文系は何も生まなかったみたいで)言い過ぎとは思いますが。
2008年06月06日
ケータイは、親が持たせたくて持たせている
ここのところ、ケータイに関する書き込みが多いような気がしますが…。
できれば、セキュリティの話題にも触れて欲しかったな、と思いますね。
いずれにしても、教育再生諮問会議だっけ、あの救い難いほど頭の硬い連中の机上の論より、よほど現実を正しく把握している人によるこういう話の方が遥かにマシだということです。
投稿者 clad : 21:25 | コメント (0) | トラックバック
2008年06月05日
優先席とケータイ
通勤電車の優先席付近では、乗客は携帯電話の電源を切るべしというのが、主な鉄道会社の方針のようです。
半年ほど前のこと、小田急線で帰宅途中に、空いていたもので何の気なしに優先席に座り、何も考えずにケータイを取り出してメールチェックしたことがありました。
ほどなく、近くに座っていたおばあさんが、ケータイの電源を切ってくれと声をかけてきました。にこやかではありましたが、断固たる口調でした。
もちろん悪いのはこちらなので、すぐに電源を切ってケータイをカバンにしまいました。
数ヶ月後、やはり帰りの小田急線で、たまたま優先席近くに立った時、目の前で何やら乗客同士がトラブルになっていました。見ると、先日のおばあさんが、若い女性にケータイの使用をやめるように強い口調で迫っていたのです。しかし若い女性のほうはそれを完全に無視してメールか何かを続けていました。
おばあさんは心臓のペースメーカーをつけているとか、そういった事情があるわけではなさそうでした。若い女性の側で、いつまでも文句を言い続けていたのです。もし本当に自分の身体に異常が起きる可能性があるのなら、きっと途中で諦めて、他の車両に移っていったでしょう。その程度に車内は空いていたのです。
やがておばあさんと若い女性は、偶然でしょうが同じ駅で降りていってしまいました。降りた後、トラブルが起きた様子はありませんでした。
これはつい数日前のことです。
同じように帰宅時に小田急線に乗り込んだ私は、優先席の前に行こうとしたとき、誰かが手に触れてきたのに気づいて振り返りました。
席に座ったおばあさんが、私を呼び止めたのでした。先日のおばあさんとは別人でした。その人はまるで鬼の首でも取ったような勢いで、私の手を指していいました。「ここではその電源を切ってください!」
私が手に持っていたのはケータイではなく、PDAでした。これはケータイではないですよ、と私が言うと、おばあさんは気落ちした様子で席に座って小さくなってしまい、やがて3つほど先の駅で降りていきました。おばあさんが降りるとき、辺りでは少なくとも2人の人が、当然のようにケータイを使用していました。
優先席付近でケータイを使う人を注意しようと思ったことは何度もあります。
しかしその結果生じる恐れのあるリスクを考え、実際に注意したことはありません。男性だと暴力沙汰にならないとも限らないし、女性だと逆恨みの末に痴漢の罪を着せられる恐れもあるからです。
優先席付近でのケータイ使用禁止を決めたのは鉄道会社ですが、そのルールは一般に広く認知されているとはいえません。その根拠となっている心臓ペースメーカー自体の馴染みが薄く、ルールの必要性についての納得が得られにくい状況が、認知を妨げているように思うのです。
心臓ペースメーカーが今以上に普及することは望み難いし(普及することが望ましいかどうかは別にして)、大事なルールなら衆知徹底を図るためのPR活動をする責任は、制定した鉄道会社にあります。乗客同士の自浄作用に期待するのは、ルールが常識といえる段階まで認知されてからの話ではないのでしょうか。
現状の各鉄道会社の対応は、本当に心臓ペースメーカーを使用している人が安心して電車に乗れるように配慮しているというより、むしろ責任逃れに感じられてなりません。家電製品の取扱説明書の冒頭に長々と書かれている、PL法対策としての「安全にご使用いただくための」注意書と同じです。全員にきちんと守ってもらおうなんて、誰一人期待してなどいません。そこに書いてあること自体が重要なのです。
「公共」交通機関たるもの、本当にそれでいいのか…そう疑問を抱く一つの事例です。
2008年06月04日
眉に唾するより、今は信じてみたい
常温核融合は、もうインチキとして確定したものと思っていましたが。
ソースがソースだけに不安ですが、やはり事実であって欲しい。生きているうちにエネルギー資源の問題が解決するとしたら、すばらしいじゃありませんか。
少なくとも、ここしばらくは夢を見させてもらえるかな。疑り深過ぎ?