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2009年05月30日
【音楽と五感】CLADの場合
前回の投稿で少し触れましたが、音楽に集中する際に聴覚以外の感覚が邪魔になることがあります。
私の場合、音楽に集中すると、聴覚以外の感覚が後退することが経験的に明らかです。
生演奏でも、オーディオでの再生であっても、音楽に一定以上に集中すると、視覚が利かなくなります。眼が見えなくなるわけではありませんが、目蓋を開いていても、何も見ていません。少なくとも、視覚情報は脳には到達しないか、届いても情報処理されず、捨てられてしまうようです。
聴覚より優位なはずの視覚ですらそうですから、他の感覚は言わずもがな。
昔、上野の文化会館でC・クライバーの指揮するブラームスの交響曲を聴いていたときの感覚は、私としてもいささか異常でした。触覚がなくなって、まるで椅子に座ったままの姿勢で中空に浮かんだような錯覚に陥っただけならいつも通りでしたが(一般的には十分変かも知れないけれど)、眼を見開いて舞台上をしっかり見ようとしていたからか、視覚は単純に失われたわけではありませんでした。その代わり、視野が狭搾して、舞台の上しか見えなくなってしまったのです。
このときは、クライバーの呼吸があまりにも深かったため、それと同調しているうちに酸欠状態になり、脳内で視覚を司る部位への酸素供給が不足したのかもしれません。
懐かしい昭和女子大学人見記念講堂で、パリ管弦楽団のコンサートでドビュッシーを聴いていた際の出来事も忘れられません。
例によって視覚情報オフ、触覚情報オフ、聴覚だけ全開で聴いておりました。嗅覚は、五感の中では比較劣位に位置するため、特に音楽を聴いている間には意識することはまずないのですが、唐突にバラか何かの香水のような、華やかな匂いを感じたのです。
近くのお客さんのつけていた香水だったのかもしれません。唐突に感じたのは、あるいはたまたま誰かが暑くて扇いだときに、実体としての香水の匂いが漂ってきたという可能性もあります。ただ、その匂いを感知したのはコンサートを通じてその一瞬だけでした。果たして本当に匂いを感じたのか、それとも一種の“幻匂”ともいうべき錯覚だったのか、いまだにわかりません。
五感のうち、味覚だけはここまで触れてきませんでした。これには理由があります。
特に大好きなドビュッシーの管弦楽作品を聴いているとき、私は音楽を舌で味わうような感覚を覚えることがよくあるのです。
ドビュッシーの管弦楽法は、けなす人もいるようですが、音色の異なる楽器でのユニゾン(同じ旋律を同時に演奏する)で独特の音色を作り出し、優れた和声感覚と相まって、独創的な音が鳴ることは間違いありません。この音が、とても好みに合うのでしょう。
逆に同時代のライヴァル、ラヴェルの管弦楽法は誰でも褒めますが、私もドビュッシーにない鮮烈さは感じるものの、舌での楽しみはドビュッシーでのそれに比べると明らかに限定的で、ささやかなものです。ラヴェルの管弦楽曲は、確かに個々の楽器の音が見事に“立って”おり、見事さに感心することが多いのですが、それでも楽器の音から想像できる範囲内の音ばかりという印象で、新たな発見には乏しい気がしています(ラヴェルの音楽自体、たまに聴くにはいいのですが、しょっちゅう聞くと飽きてしまいます。あまり相性が良くないのかもしれません)。私の中での印象は、ドビュッシーは音の発明家なのに対し、ラヴェルはあくまでも職人といったところです。
ラヴェルだけでなく、他の幾多の作曲家の作品に比べて、ドビュッシーの場合だけが突出して味覚を強く刺激されるようです。また、ピアノ曲でも室内楽でもそういう感覚は覚えますが、演奏の編成が大きいほど味覚への刺激が強まるのも確かです。
ドビュッシーについては、実演か録音の再生かによらず、演奏や音響が優れていればいるほど、この作曲家独自の音色を味わう際に、聴覚の範囲をはみ出して、まさに舌で味わっています。無意識のうちに音楽に合わせて舌が動いていたことが、これまでに何度もありました。
具体的に特定の食べ物の味がするわけではありませんが、確かにドビュッシーの音響を舌が喜びをもって感じているのです。
脳科学には詳しくないのですが、あるいは聴覚と味覚を支配する脳の部位が近くて、聴覚の感じる愉悦が味覚の領域にまで影響しているのかもしれません。
こういった音楽の感じ方は、果たして他の方にもあるものなのでしょうか。“共感覚”というのは一般的には音が色としてイメージされるといいますが、それとは明らかに違います(私の場合、聴覚が優位に立つと視覚はかなり遠慮がちに引っ込んでしまいます)。とはいえ、これも一種の共感覚なのかもしれません。仮にそうだとしても、「この音はこんな味」と具体的に感じ取れないのでは、大した共感覚者ではないのでしょう。
ともあれ、上記のようなわけですから、本気で音楽を楽しもうとしているとき、ワインを口に含んだりするのはその楽しみを邪魔することになりがちなのです。私以外の人も、そういう感じかたをするのかどうかは定かではないのですが、昨日の投稿にはそういった背景があるのでありました。
投稿者 clad : 2009年05月30日 14:00
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コメント
こんばんは。
なかなか面白い話しですね、一庵さんに薦められて、最近の脳科学の本
(ブログに上げました)にも関連した事もある記事が少しありますが、
聴覚より視覚が優位があると云う事が前提になっている様に書いては
ありました。また、視覚の認識は復層した動きのなかで認知されている様に
解説してありました。聴覚と視覚がある場合入れ替わる事も可能かも知れ
ません。私は研究者ではないので何とも言えませんが!
認識の回路形成はかなり個体差もありましょうから、有り得ても不思議で
はないかも知れません。音楽を聴く時は眼は瞑っている時が多いですね。
私の場合は、音楽は感情で思想的なモノを感じます。その意味では
かなりロマン派の音楽がベースに在るのかも知れません。おそらく
聴き始めた時代のせいにも思えます。
人それぞれ違うモノの様に思えます、しかし良い音楽は結構他人と共通
していたりするので、これまた不思議です。
まあ、あまり論理的に考えるモノでも無さそうに思えます。
アンプの方は私的には終わった感じがしていまして、ごく最近の動きには
付いて行かない気分ではあります。
どうも、絵の方がとても面白くなってしまって。
投稿者 artist-mi : 2009年05月31日 21:32
こんばんは。
そうですね、脳科学では視覚が他の感覚より劣位に回るということはまず言われないんではないでしょうか。
私の場合は小学生の頃から眼鏡着用だったし、近視と乱視が酷くて視力が弱い分、聴覚に比重がかかりやすいということもあるのかもしれません。視覚が音楽を聴く邪魔になったという経験が、余りないのです。
絵といえば、今年こそmiさんの作品を生で拝見したいですね。
投稿者 CLAD : 2009年06月01日 21:06