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2010年05月14日

【ツイッター】つぶやきより。音楽に救われた思い出

カミングアウト。ブラームスの交響曲第1番。好きではないけれど、心揺さぶられて冷静には聴けない曲。ベートーヴェンの後継者として期待される重圧を、自分が子供の頃に親から受けたプレッシャーと重ねてしまう。恥ずかしい自己投影だが、避けられない(だから辛くなって好きではない、ともいえる)。
http://twitter.com/_CLAD/status/13836736398

ブラームスに自分を重ねたのは主に中学時代。高校から予備校時代は、親からの抑圧がさらにきつくなり、自己投影の対象がショスタコーヴィチに移っていった。出口のない、精神的な抑圧感。当時自殺しないで済んだのは、ブラームスやショスタコーヴィチのおかげかも。今にして思えば大げさではない。
http://twitter.com/_CLAD/status/13837061247

そして小学生の頃からずっと好きなドビュッシー。まさに、何ものにもとらわれない精神的な自由さの象徴であり、それに憧れていた(いる)のだと、今ならわかる。わかるようになるまで、随分遠回りした気がするが、わかるようになれたから、それでいい。わが子に同じ思いを味合わせないようにできれば。
http://twitter.com/_CLAD/status/13837061247

親からの呪縛は、一種のマインドコントロールだから、解けるのに時間がかかった。いろいろなトラウマに、過去の因縁を見つけるたびに心が痛む。未だに。
http://twitter.com/_CLAD/status/13837482863

(「どうやって親の呪縛を解くことができたんですか?」の問いに答えて)
もがき苦しみながら、一つ一つ過去の自分と向き合ったのです。心を血みどろにして。家族も巻き込んで傷つけたし、一時は親との関係を絶ちました。今は親とも和解して(というか、こちらが赦して)いますが、殺したいほど憎んだ時期もあり、それらを乗り越えて今に至ります…。
http://twitter.com/_CLAD/status/13839178769

過去の自分は現在の自分とつながっているが、違う。こだわってはダメだが、嫌っても仕方ない。過去の自分を懐かしく、慈しむことができれば、それで十分。今日を生きていくには。
http://twitter.com/_CLAD/status/13841899019

…本当は、ここに書かれたような内容について書き留めておこうと思ったのがこのブログを始めたきっかけでした。
自分の戦いの記録を残しておきたかったのです。それが、自分が生きた証であったかのように。

しかし、これを書くには相当のエネルギーが必要でした。その覚悟が定まらないまま、月日が流れていき、現在に至ります。
ツイッターを始めて、気軽なつぶやきの中に、ふと思いたって織り込んでいました。
もはや真剣に向き合ってまで過去の自分にこだわる必要性を感じなくなったのです。
もちろん、嫌ってもいない。
過去の自分は、その時々の状況に応じて、それなりに懸命に生きていたのですから。

よくやったね。ご苦労さん。おかげで今の私があるんだよ。

これ以上、陰々鬱々とした話を書き連ねる気にはなれないので、おしまいにします。
ブログ開設当初の目的はめでたく達成しました。

これでブログを閉じてもいいのですが、折角なのでもう少し続けてみようと思います。
140字に思いを凝縮しようとしても、どうしても語り足りないこともあるでしょうから。

投稿者 clad : 23:44 | コメント (0) | トラックバック